[2006年08月21日]

弔辞

田中先生の御葬儀は、19日通夜、20日告別式を、
練馬区春日町の愛染院会館で執り行われ、先生の死を悼み、
暑さの中、多くの参列者が集いました。
お導きは、日蓮宗本照寺御住職。
御戒名は、「叡哲院法明日靖居士」。

御遺族の了解の上、弔辞を掲載します。

弔辞
学習院大学田中靖政ゼミを代表し、先生のご霊前に謹んで申し上げます。
田中先生、残念です。
もうあの温和な笑顔に接することが出来ないと思うと、痛恨の極みであります。
本年5月24日に、大学の前教授室でお会いしたのが最後となりました。そのとき先生はご自分の書かれた「原子力の社会学」やそのほかの著作物にわたしの俳号である「風伯」に先生をつけて「風伯先生」とサインをされました。あれっ、今までにないことをするなといぶかりましたが、ぼんやりのわたしはそのとき気づかず、いま思えば、先生流の「別れ」であったのですね。
振り返れば、先生とわたしは、先生が昭和38年米国イリノイ大学から戻られて、当時の政経学部助教授になられてからですから、もう43年間になります。先生との共通点は清水幾太郎先生の薫陶を受けたことです。清水先生を中心に社会学、社会学研究会を通して兄弟子の関係でありました。その先生が講義されると聞き、直ぐにエントリーし、靖政ゼミの1期生になりました。毎週レポート提出で大いにしごかれたことを思い出します。
先生は、ご自分の専門を「社会心理学・コミュニケーション」と位置づけ、「政治学」や「社会心理学」から「コンピュータ」や「原子力」まで、幅広く関心を持たれ、すべてはイリノイ大学大学院留学以来の「学際的コミュニケーション研究」の一環であると述べられ、多くの立派な事績を残されました。「エネルギー問題」まで研究されたことを、きっと清水先生は喜んでいますね、とお話したらニッコリされていましたね。
靖政ゼミの卒業生は800人、深秋会を昭和52年に立ち上げ、そのクライマックスを5年前の平成13年12月1日の「田中靖政教授の古希をお祝いする会」におきました。その年の1月に肺ガンの手術を�れていた先生は、「生きる執念を燃やされ」不退転の決意で準備に当たられました。当時の現役・卒業生100人は、懸命に働き、大学始まって以来のイベントに燃えました。記念講演会には、田原総一朗氏をお呼びし、先生との「21世紀、日本は大丈夫か」は、多くの聴衆に感銘を与え、記念パーティは、その日に誕生した愛子様の話題で大いに盛り上がりましたね。その後、38年間勤務されていた大学を定年退職され、さあこれから楽が出来るぞといったときに、病魔に冒されました。
昨年の元旦からスタートした「深秋会」のブログ「靖政ドットjp」も今日で597日目を迎えました。先生の「60年目の節目」の連載も未完に終わりました。毎日、わたしの「日めくり俳句」を楽しみにしていた先生は、黄泉の国へ旅立たれました。
奇しくもお亡くなりになった17日の句は「先立つもすこやかにゐよ天の川」、角川源義の作品でした。
田中先生、わたしたちは、教えていただいた「知は力なり」「続けることは力なり」を信じて、精一杯1日1日を大事に生きて参ります。
どうか、奥様、お嬢様、そして教え子たち�未来を、天上からお守りください。
先生、長い間本当に有難うございました。安らかにお眠りください。
平成18年8月20日                             田中靖政ゼミ代表  榊原昭宏

投稿者 m-staff : 2006年08月21日 07:02

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