[2014年03月16日]

皆行方不明の春に我は在り

永田耕衣(1900〜98)

春が春の季語。青陽、青春、陽春、佐保姫、三春、九春なども同意の季語です。
マレーシア航空機は「神隠し」に会ったのでしょうか。いったいどこへ消えてしまったのでしょう。科学がいくら発達してもわからないことだらけですね。
この句は、「我」の所在を深く問いかけています。デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」とも違う。サルトルは、デカルトの「われ思う」を非反省的意識としてとらえ、対して意識のおもむく志向性を強調し、その意識を制約する事物との相克を「存在と無」で詳細に論じています。この句は、サルトルの思考なども背景として、存在に対する不安から生まれたもので、絶えざる自己超克を目指している句のように思えます。春の日ののどかさの中で作者の覚めた意識を詠んでいます。俳句でもここまで表現できるのですね。
作者ながた・こういの紹介は、2005年2月25日を参照。
(出典:村上 護著「きょうの一句」、新潮社、2005年刊)
・昨日は、横浜のみなとみらい地区の赤煉瓦倉庫あたりを吟行。外国のお客様を連れて、国際手話通訳ボランティアの皆さんの活躍が目をひきました。

投稿者 m-staff : 2014年03月16日 09:29

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