[2016年12月11日]
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ
能村登四郎(1911~2001)
枯野が冬の季語。枯野原、枯原、枯野道、枯野宿、枯野人なども同意の季語です。
枯野は、虫の音がとうに絶えて、草も枯れ果て、一面寂寞とした野原を言います。
作者の目の前には、蕭条とした枯野が広がっています。家の庭で火を焚くのは寂しさに耐えかねてでしょうか。その煙越しのかなたを通り過ぎてゆく人影があります。このような日暮れに一体どこに行くのでしょう。その距離にはるかなるもの、漂泊するものへの共感がうかがえますね。
この句の「沖」は、海だけではなく、古くは田畑、原野の開けた遠いところを意味しています。作者は、1970(昭和45)年に「沖」を創刊主宰しました。
作者のむら・としろうの紹介は、2006年8月20日を参照。
(出典:村上 護著「今朝の一句」、講談社、1995年刊)
・ウインタースポーツが花盛り。フィギュアで羽生史上初の4連覇、宇野も3位。宮原2位。W杯ジャンプ3戦目で高梨3連勝ならず、3位。1回目102メートルの最長不倒、2回目は風に邪魔されて失速。第4戦でがんばれ。
投稿者 m-staff : 2016年12月11日 09:59
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